この世の果てまで、小説を持って。 私の心をどんな色にも染めてくれる小説。どんな世界でも見せてくれます。

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資源回収のトラック

我が家の地方では、1ヶ月に1度、再生資源の回収があります。市の業者さんがトラックを運転しながらやってくるので、玄関先に置いておくのです。畳んでまとめた段ボール箱や古紙などを。すると、トイレットペーパーと引き替えに持って行ってくれるのです。徹底的に掃除をしようと思い立ったら、まずその回収日をチェックし、それまでにゴミをまとめられるようにします。
が、先日はそのスケジュールに混乱が生じました。その日でもないのにトラックが来てしまったんです。しかし市で配布しているカレンダーを見ると、予定はやはりまだ先でした。どうなっているんだろう、とカーテンの影からそっと運転手さんの顔をのぞき見ると、いつもの人とは違いました。
「一体何だったんだろうね」。翌日の、近所の奥様方とのお茶会では、当然のようにそのことが話題に上りました。すると、どこまで本当かは分かりませんが、なかなか入り組んだ事情があることを消息通の奥様から教えてもらえました。世の中、まだまだ知らないことだらけです。
やがて予定の日が来て、いつもの人に大量に出た我が家のゴミを持って行ってもらいました。通販の段ボールの他、傷んだ小説などを出すことが多いのですが、そのせいで趣味がバレているようで、時代小説の話を少しだけ交わすことが出来ました。単純にも、ずっとこの人に来ていてもらいたいと思ってしまいました。

電車に乗るのが好きです

電車などに乗っている時の、あの「揺れ」がとても好きです。幸いなことにあまり乗り物酔いする体質ではないので、流れゆく車窓を見ながら、あるいは音楽を聴きながら、のんびりと揺られています。さすがに本を読むと酔います。発売されるのを心待ちにしていた小説を、家に帰るまで待ちきれずに一気読みした時などは悲惨な目に遭いました。吐き気と戦いながら読むものではありませんね。せっかくの楽しみを、早く読みたいと焦るあまり台無しにしてしまいました。
それはともかくとして、疲れているときなどはあまりの心地よさに眠くなりますね。暑い日はほどよく冷房がきいていて、そして寒い日はほどよくあたたかくて。そしてゆりかごに揺られているかのような感覚が延々と……。うっかり寝こけてしまい、目的地を通り過ぎかけたり、実際に通り過ぎてしまったことは数知れず。コミックなどによくあるように、終点まで乗ってしまった、ということは今のところないのですが。友人曰く、「いつかやらかしそうで怖い」そうです。失礼な。
思い返せば子供の頃、今はもう廃線になってしまったローカル鉄道に乗るのが好きで、母に何度もたしなめられていたにも関わらず、座席に登って車窓を眺めたり、第一車両を目指して走っていったりしたものでした。いわゆる「乗り鉄」の気があるのかもしれません。

百年の恋も冷める?作家の失言

こういうこともあるのだなあと幻滅半分、教訓半分という気持ちになったことがあります。今から○○年前、私はとある小説にハマりました。軍記物で、とても面白かったです。それから時が経ち、その作家さんが新しい小説を書くことになりました。発売前からそれはそれは楽しみにして、予約の開始をずっと待っていました。そしてその作品をついに手に入れて読みふけった日の幸福感といったら……。その輝きは昔とちっとも変わっていないように思えました。その時は。
その後、ファンの人たちが集まるコミュニティで、とある疑惑が提示されました。それは物語の根幹に関わるエピソードの、いわゆる「パクリ」疑惑。まさかね、と思いつつ、比較対象として挙げられた小説を読んだところ、個人的には(あくまで、個人的にはですよ)看過できないレベルで似ていました。まあ結局、確たる証拠もなく、疑惑のままで終わったのですが。
しかし何となくモヤモヤしていたところに投げ落とされたのが、その作家のSNSでの発言という爆弾でした。それは私がかつて愛した小説に関するもので、しかもその小説を貶めるものと言いますか、何と言いますか……。一度世に出したものに関して、書いた本人なら何を言ってもかまわない、というわけではないと思うのですがね。あんまり思い入れすぎても辛いものがある、ということを学びました。

ご近所の奥様方の話

近所の人のお家にお呼ばれして、色んな人のお話を聞く機会を得ました。自分とは全く違う人生を歩んできた人たちの話って、とても面白いですよね。少々野次馬根性が入っているかもしれませんが、まるでドラマか小説に接しているかのような気持ちで楽しんでしまうことがあります。その話がポジティブなものだとなおさら。
小説を読むのが趣味のせいか、私は普段からどうにも行動範囲が狭くなりがちです。スーパー、書店、図書館、近隣の友人と会う際に使うファミレスやカフェ……普段赴く場所は大体そんなところです。しかし。当然のことながらほかの人がそうだとは限りませんよね。その日は旦那様について海外で暮らしていたという人の話や、我が家の地方からかなり遠いところから嫁いできたという人の楽しい話をたくさん聞くことが出来ました。
本当に、人生というのは色々ですね。色とりどりの万華鏡のようでした。そしてどんな光にも影があって、考えさせられました。そうこうしているうちにあっという間に時間が経ってしまい、夕食の準備のためにもお開きとなりました。お茶もお菓子もとても美味しかったです。私自身の話は特に何の変哲もなくて、せいぜい近況報告くらいしか出来なかったのですが。良いご近所さんに恵まれたなあ、と思います。

突然の訪問販売

午前中に家事を終え、午後になって思う存分自室で小説を読んでいた日のことです。その日、家の中には私と母しかいませんでした。母は居間でテレビを観ているはずでした。そこにピンポーン、とインターフォンが鳴り、彼女が応対に出たようでした。
しばらくして聞こえてきたのは、彼女の怒鳴り声でした。一体何事かと思って出ていくと、どうやら訪問販売のセールスマンに捕まってしまっていたようでした。こちらとしては口頭でちゃんと断っているのに、食い下がって根負けを狙うタイプのようでした。
正直効率が悪そうなやり方だな、と傍から見ている分には思うのですが、私が初めに応対していたら、やはり母のように泥試合になっていたのではないかと思います。むしろ彼女のようにチャキチャキと気強く対応出来ない分、ふんふんと話を聞いてしまっていたかも……。
私という別の人間が来たことで勇気づけられたらしい彼は、口早にどういう用向きで来たかを伝えてきました。怪しさ抜群どころか大爆発でした。というのは、数日前に回覧板で注意喚起されていた詐欺の手口と全く一緒だったからです。スマホを片手にしながらの「警察を呼びますよ」の一点張りで何とか追い返すことが出来ましたが、正直恐ろしかったです。
世の中のセールスマンがああいう人ばかりではないことは重々承知していますが、なかなかに消耗した出来事でした。

スーパー銭湯でコーヒー牛乳

たまには家のお風呂でなくて、大きなお風呂に浸かりたくなったので、スーパー銭湯に行って参りました。大浴場よりは露天の方が好きだったので、身体を流したらすぐそちらに向かいました。景色もさることながら、大浴場の湯温よりぬるめで、じっくり浸かっていられるところが好きです。眼前に広がる季節の風物を目で楽しみながら、しばらくぼーっとしておりました。普段の疲れが染みだしていくようで、とても心地が良かったです。
銭湯から上がった後のお楽しみといえば、コーヒー牛乳かフルーツ牛乳ですね。その日は前者を選びました。ビンの紙ぶたを開ける時が、何とも言えず心躍ります。腰に手を当ててキュッ、はちょっと気恥ずかしくて出来なかったのですが、ぽかぽかに温まった身体にきんと冷えたコーヒー牛乳はとても美味しかったです。
休憩用の畳敷きの部屋で更にぼーっとすること小1時間。お肌のお手入れをしたり、持参の小説を読んだり、同行してくれた友人ととりとめもない話をだらだらと続けたり……と、かなり「ゆる~い」時間を過ごしました。やっぱり銭湯は良いですね。1人でじっくり入るのも落ち着けて素敵ですが、他の人と裸の付き合いをすると、ゴリゴリに固くなっていた心が柔らかくなるような心地がします。

いつまでも残って欲しいもの

昔から建造物になんとも言えない魅力を感じてはいましたが、中でも東京タワーが好きです。スカイツリーではなく、東京タワーのほう。あのたたずまい、鉄骨らしい姿、バランス、とっても魅力的だと思います。私だけかな?なんて思ってたんですが、実は写真集も出るくらい同好の士が多いと最近知りました(笑)
でも、もう役目は終わっているんですよね。今はまだ観光名所として愛されていますが、今後はどうなるんでしょうか?きっと今後、老朽化という問題も出てくると思います。高さもありますし、強風や自信などで崩れたりしては大事ですよね。きっとそうなる前に建て替えなり、解体なりという措置がとられると思うんですけど…おそらく建て替えということは無いですよね。ただの観光名所であれだけのものを維持するとなるとお金もかかるでしょうし。
そうなるといずれは解体されてしまうんでしょうか?ブームにもなった小説のタイトルにもなっていますし、残って欲しいものですけど…。江国さんのほうも、リリーさんのほうも、どちらも映画化までされてますもんね。30年後に見返したとき、「そういえばそんなものもあったなあ」なんて言うのはちょっと寂しいのでいやですね。中に入る事はできなくてもいいから、形だけでも残ればいいなあなんて、わがままかもしれませんね。

世知辛い世の中です

私の周りには煙草を吸う人が多いんですが、最近ぞくぞくと禁煙する人たちが増えています。健康のため、というのも理由の一つらしいのですが、一番の理由は「喫煙場所の減少」なんだとか。街角にたくさん置かれていた灰皿はどんどん減り、煙草屋さんの前にも置いてないことが増えたそうです。さらに公共の喫煙所はどんどんと囲いが厳重になり、何だか閉塞的な空間になっているんだとか。その上、吸えるスペースの絶対数が少ないので狭いスペースにすし詰め状態で吸う羽目になるんだとか。
それでもお店に入ればゆったりできる場所も多いんじゃないの?と思ったんですが、最近は完全禁煙のお店も増えているんだそうです。そもそも喫煙席が無いので煙草も吸えず、コーヒーだけ飲んでもさみしい気持ちになるんだとか。友達は長年、近所のカフェで煙草とコーヒーを楽しみながら読書をするというのがお休みの日のお決まりのパターンだったらしいのですが、そのお店も世相を反映してか全席禁煙になってしまったんだとか。残念なことに、家の近所にあるカフェはそこ以外はもともと禁煙のお店らしく、これでもう近所に憩いの場が無くなってしまった…と絶望したらしいです(笑)
確かに、吸わない人からしてみたら全席禁煙のお店とそうでないお店があったら、前者を選ぶかなあ…。これをきっかけに吸わないで居られるようになるなら、お財布にも体にもいいから、と笑った友達の顔は、ちょっぴりさみしそうでした。

風鈴

数年前の夏、都内の大きなお寺の境内で開かれたお祭に遊びに行きました。お祭と言えば個人的にはりんご飴なのですが、あんず飴の屋台ばかりでちょっと残念に思ったことを覚えています。地域差があるのかもしれませんね。焼きそばやたこ焼き、イカ焼き等のベーシックなものに加え、飴細工やガラス細工などもありました。中でも特に目を惹いたのが、風鈴の屋台。会場の出入り口付近に出店していました。
濃い緑色の暗幕(?)を張り巡らした屋台で、細長い竿を2段に掛け渡して、風鈴を展示していました。金属製の檻のようなカバーが掛けられたライトが、それらをふんわりと照らしていました。
その光景がものすごく綺麗なんです。色とりどりの絵付けをされたガラスの風鈴が、夜風や人いきれやに揺られて、キラキラと幻想的に照り輝いて。クラシック音楽の演奏に使われるチャイムのように、いっせいに涼やかな音を響かせて。
まるで小説の中の屋台か何かのような美しさで、思わず1つ購入してしまいました。普段なら絶対に買わないようなお値段だったのですが(笑)。その風鈴は今でも夏になると我が家の軒先につるされます。どんなに暑い日でも、あの「チリーン」という透き通るような音を聞くと、心に涼風が吹き抜けるような心地がします。大好きです。

【歴女】それぞれ

一時期、【歴女】という言葉がもてはやされましたね。今はだいぶ広い語義を持つようです。前々から歴史が好きで研究職に進んだ友人などは、そう呼ばれると渋い顔をしていました。
私も割と歴史は好きな方です。彼女ほど真剣ではないので、ニワカ的な意味の【歴女】ってところでしょうか。教科書などは今でもたまに読み物として楽しんでいます。歴史小説も大好きです。あくまで小説、ですが。
前述の彼女いわく、彼女も昔は歴史小説が大好きだったそうです。でも、俗説やウソも搦めてドラマティックな展開で魅せるそれらが、今はあまり好きではないのだとか。研究者ならではの感覚かもしれません。
私はあまり気にしないのですが。面白ければ。でも、真偽の不確かな説を採用しているのかもしれない、と思うと、ちょっとひっかかるところがあります。余裕があれば調べに行きます。できれば真相や文化的背景を知りたい、という欲求もあるので。
小説は小説、史実は史実。色んな楽しみ方があるのが、歴史の良いところですね。現代日本だと、ゲームやドラマ等できっかけがたくさんあるのも、【歴女】がクローズアップされる理由の1つとなったのでしょう。聖地巡礼しやすいのも良いですよね。私にとっての聖地は某古都。またそのうち強行軍してこようと思います。