先日、『眼トレ』なんていう本を見かけたんです。『目の新常識』なんていう言葉で紹介されていました。本の表紙には1日1分でいいと書いてあったんです。でも、私が驚いたのは、そのトレーニングではなく、『目に良い最強の食べ物』として紹介されていたものの方です。それって、一体なんだと思いますか。なんと『カレーライス』なんですって。驚きました。だって、そんなこと初めて知ったんですもの。体に良いからという理由でなく、子供から大人までみんなが大好きですよね、カレーって。暑いときも寒いときも季節に関係なく、いつ食べても美味しいですもの。
それが『目のスーパーフード』と呼ばれるには訳があったんです。そもそもカレーには沢山のスパイスが入っています。それらのスパイスが脳内の血流を増加させて、脳を活性化させることができるんです。そこに野菜や魚介類など目にイイ具材を加えることができる点がさらに魅力的なことなんです。その効能を最大限に生かすには活動前に食べるのがベストなんですって。つまり、朝ごはんかランチなんです。そういえば、最近はホテルの朝食にもカレーがありますよね。そういう事だったのかもしれないです。活動前に脳と目にスーパーフードで喝を入れるのがいいんです! 朝カレー、やる価値ありそう。
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あれがスーパーフードだなんて!
ミスを防ぐために
人間はミスをしてしまいます。もちろん、ミスをしようと思っている人は誰もいません。私もそうです。でも、気を付けていても不注意って起こり得るんです。新人は特に同じ過ちを繰り返すと、怒られるしヘコむことでしょう。じゃあ、どうすれば防ぐことができるのか。この前、見かけた記事にまとめられていました。それを読んだら、『当然』って思ってしまうんだけど、大事なのはシンプルだけどメモを取る事だって書いてありました。「そうかぁ。やっぱりそれに限るよね」という印象です。でも、本当はこれって新人だけじゃないんです。ベテランだって同じです。今まで覚えていたのに、ちょっと他のことに気を取られたら、一瞬で忘れてしまった、なんていうことを経験した人も多いかもしれません。特に、数字に関しては危ないです。メモは詳しく何もかも書く必要はないんですよね。数字だとか、ちょっとした単語だけでもいいんです。それがあれば、記憶を呼びだせるキッカケになるんです。
それに、チェックリストも大いに活用できるって。確かにです。私は仕事だけでなくて個人的なことでも、チェックリストを作っていることがあります。それがあれば、抜けてないかなって、何度も考えなくても安心です。結局、考えたり迷ったりしない分、時間の短縮にもなるんです。
それから、コミュニケーションも大事です。復唱することが有効なんです。コミュニケーション不足で、他の人がやっていると思い込んだり、もう終わってるものだと誤解したりすることを防ぐことができます。
ちょっと気を付ければ、ほとんどは防ぐことができることです。ポケットには小さなメモとペン、お忘れなく!
ネギのパワーが凄い
ネギは万能野菜の一つですよね。冷蔵庫の中には必ずと言っていいくらい入っています。お味噌汁や納豆をはじめ、薬味としても大活躍です。脇役でありながら、その存在感はなかなかのものです。だって、もしなかったら、主役の食材の魅力が半減してしまうほどですものね。それに、身体にもイイって言われています。昔から風邪に効くと言われてるんですよね。以前、健康志向の雑誌でも見かけたことがあります。
けど、先日、雑誌で読んだ記事には、風邪に効くだけでなく、肺炎やガン予防の効果に期待できる成分まで見つかったと書いてありました。中国では新型肺炎SARSが大流行した時に、ネギの里と呼ばれている町では感染者が一人もでなかったそうなんです。それって、スゴイことですよね。とても偶然とは考えられません。また、現代ではガンにかかる人の数は年々増加しています。なんだか最近は年齢に関係なくかかってしまうような気もします。医学の進歩で治る確率はずいぶん高くなってきました。でも、死亡原因としては一番多いのかもしれません。もしそれが予防できるのなら、こんなに嬉しいことはありません。お薬ではなく、食べ物で予防が可能なら、絶対に取り入れたいと思いますよね。昔から良いと言われているには、やはりそれだけ意味があるってことなんですね。ネギは色んな食材に合わせやすい野菜だから、今までよりもっともっと摂っていきたいなって思いました。
SNSを楽しむためには
今や老若男女、誰もがやってると思えるSNSだけど、実際には楽しんでいる人が多い反面、ある意味強制的な感じで面倒だなって思っている人もけっこういるんだとか。仕事のツールとして使っている場合も多いから、そうなれば仕事との関連があって感じ方も様々なのかもしれません。実は私も時々、面倒だなって思うことがあるんです。少し仕事に関することもあるから、なんとなく「やらなきゃ」っていう意識を持っているからだと思います。人間って好きで自ら進んでやってることでなかったら、重荷に思えたりしますものね。
先日、「やっぱり」って思える記事を見かけたんです。SNSが続かない人が多いことを取り上げていて、続けるコツが書いてあったんです。フォロワーを増やすためだけが目的になってしまうのがいけないんだって。たぶんそれは、仕事のためだという場合が多いかもしれません。そうなるとテクニックに走ってしまったりで、本質から離れてしまうって。SNSは自分の『好き』を紹介するツールだと考えるとイイらしいです。好きなことなら発信したくなるからなんです。読んだ本や食べた美味しい物、素敵なカフェなど何でもイイと書いてあります。身近な人だけにシェアする気持ちで、無理をしないで居心地よく更新することから始めればいいんだと提案してくれていました。『好き』が溢れてるタイムラインは楽しいって。そうですよね。それなら、自分が楽しめますもの。やっぱり義務はダメですね。それは好きなことを仕事にすることやそういった生き方をすることに通じるんだと書いてありました。確かにそうなんだと思います。楽しく生きなきゃね。
大事なことは『時は金なり』
先日、あるファイナンシャルプランナーの人の記事を読んで、ものすごく共感したことがあります。『お金を貯めるには』と、具体的な数字も書いてあって、納得せざるを得ないといった感じなんです。まず、お金と違って時間は巻き戻したり取り戻したりできないから何より貴重だと書いてありました。だから、時間をいかに使うかによってお金の量も人生の質も変わってくるんだって。
ポイントがいくつか書いてあったんだけど、ものすごく印象的だったのが「『いつか』と『怪物』は見たことがない」っていう言葉です。「いつか○○しよう」と思っていることは叶わないと。それは妄想に過ぎなくて、具体的に期日を決めて具体的に行動に移した人だけが達成できるっていうんです。これと似たことを以前にも読んだことがあります。『いつか』
なんて絶対に来ないって。お金を貯めるのも、いつまでにいくら貯める、そのためには計画を立てて、すぐに定期積立を始めるべきだと書いてありました。それから、『隙間時間を無駄にしない』ということも納得できることです。たとえば通勤が片道30分ならば1日60分、出勤が200日なら12000分、つまり200時間です。これだけあれば何かをマスターして収入アップに繋げることも可能だろうとそこには書かれていました。筆者は車なら行きはセミナーや教材のCDを聴きながら、帰りは疲れているからリラックスできる音楽を聴きながら帰るんだそうです。私は自分の事を振り返ってみて、無駄に過ごしていることが多いんじゃないかなって思いました。見直す必要がありそう。『時は金なり』です。
リンゴは美味しいだけじゃない
私は朝にリンゴを食べるとなぜか痩せるって思っています。特にダイエット目的でというわけではなく、たまたまそうしていたら結果的に痩せてたってことなんです。果物は朝に食べるのが良いと、子供のころからいつも母が言っていました。だからなるべくそうしています。そのままでもヨーグルトと一緒でも美味しいですしね。たまに、前日の夜に皮をむいてカットしたものをシリコンの容器に入れてレンジで温めます。柔らかくなって甘さが増したものに翌朝にヨーグルトをかけると、これまた格別なんです。そんなリンゴだけど、特に保存には気を使っていませんでした。そしたら先日、ちょっと要注意な記事を見かけたんです。リンゴは収穫後も『エチレンガス』を出し続けるから、そのせいでそばにある野菜や果物の老化を早めてしまうんだそうです。だから、袋に入れて他の野菜と隔離しておいた方がいいんだって。そして、老化を早めるということは、逆の発想をすると、熟成を進めるということなんです。だから、まだ固いキウイやバナナ、みかんを一緒に袋に入れて保存すれば、熟成が進んで甘くなるんですって。
でも、ジャガイモは別らしいです。リンゴのそばに置いた方がいいんだけど、それは熟成を進めるためじゃなくて、ジャガイモの場合は、芽が出るのを防ぐ効果があるようなんです。だから、長期保存したいときには一緒の袋に入れることがオススメらしいです。
こう考えると、リンゴって保存に気を付ければ、美味しいだけじゃなくて有効活用もできるんですね。
植物の気持ち
童話には木や草が人間と同じように感情があったり話をしたりするものがいくつもあります。人間の気持ちがわかって寄り添って生きている物語もあります。でも、実際のところ、どうなんでしょう。でも、植物に話しかけると大きく元気に育つと聞いたことがあります。音楽を聞かせ育てた野菜は栄養価も高くて美味しいと書いてある記事を読んだこともあります。もちろん、絵本のように話をするわけではないけど、気持ちってあるのかなぁなんて漠然と思っていました。
職場にも観葉植物が置いてあるんだけど、毎日お水をあげて世話をしていると、やっぱり植物にも気持ちはあるって思えるんです。一番不思議に思ったのは、以前の上司が可愛がってた観葉植物なんだけど、その上司が転勤になってしまった後、急に元気がなくなりました。私のお世話が気に入らないんだってふと感じたんです。毎日、お水をあげてお世話をしているのに、その木から嫌われてると感じたんです。その話を職場の人に話したら、そんなバカなって笑い飛ばされてしまいました。そんなのは絵本の中の話だろって。でも、私は確信していたんです。だから、心の声で毎朝、話しかけるようにしたんです。「おはよう、元気かな」「今日はいいお天気だよ」って。そうしているうちに、その木はだんだん元気になっていったんです。私は木に許されたんだって感じました。よくよく考えてみたら、初め私は、やることはちゃんとしていても、半分は面倒だなって思って世話をしていたかもしれません。それがバレてたってことなんです。植物にも人間と同じように感情があるって、絵本の中だけの話ではありません。
勝手にレモン
この前見かけた雑誌の記事に、『居酒屋で勝手にされて嫌な事』というのがあって、なるほどなぁって納得してしまいました。その中での堂々第一位が『唐揚げにレモンを絞る』だったんです。言われてみれば……ってことです。みんなでの集まりのときにも、無意識に誰かがレモンを絞っていたような気がします。私は酸っぱいものが好きで、レモンも好きだから、なんとも思ってなかったけど、苦手な人にすれば、そうですよね。折角の唐揚げが美味しく食べられないってことになりますもの。パリッとした食感が好きな人はかけないでってことで、もしかしたら、それが原因でケンカになるかも。あれって、どうなんでしょうね。さっぱり食べるためなのかな。でも、健康にもいいらしいし。かけたい人が自分で自分が食べる分に絞れば問題ないけど、そうなれば、一切れでは足りないし。そんな論争に一石を投じる案がその記事には載っていました。握りずしのわさび抜きが少数派のように、レモン要らない派の人は少数派だと自覚して、初めに申告するのがいいって。たしかに、そうすればケンカにもなりません。それに、一言「絞ってもいい?」と聞くべきですしね。絞りながら聞いてる人を見たことがあるけど、それではまるでコントです。みんなの意見を先に聞いてからにしなくちゃ。やっぱり必要なのはコミュニケーションですよね。
心は同じ
今、読んでる短編集の1つの物語には1人の少女が重要な役割で登場します。彼女は小学4年生です。空想の世界と現実の世界を半分ずつ生きているような少女で、だから、小学生らしい発想で純真だと言えるけど、大人のように常識的には行動しないから、それが恐怖感を与えるんです。その小説を読んでいたら、子供らしいからこそ怖いって思っちゃいます。もちろん、小説だからインパクトがある少女として登場していて、これが普通だとは思っていません。
けど、感情って子供も大人もそんなに違いはないんだって私は思っています。もちろん、子供は未熟で誤った判断をするし、色んな経験が少ない分、無知なことも多いです。でも、喜怒哀楽に関しては大人との差がどれだけあるのか、なんてわかりません。だって、自分自身の幼い頃を振り返ってみても、その時々で感じた事って、大人の今と大差がない気がするんです。悲しい、嬉しい、寂しい、楽しいなどの気持ちは変わってないって思います。もしかしたら、話せないだけで赤ちゃんだって同じかもしれないって思うんです。そう考えたら、子供だからって安易に接してはいけません。感情はみんな同じです。傷ついた時の気持ちはずっと忘れないし、嬉しかったこと感動したことだってちゃんと残ります。大人と子供って体という入れ物が違うだけで、心はきっと同じだと思うんです。
頭の中はどうなってるの?
小説を読んでいると、いつも作家さんに感心してしまいます。よくまぁ、こんなストーリーを考えられるなって。特に、専門的な知識がないと書けないだろうと思われるものは、その作家さんがどういう人なのかと気になったりもします。恋愛小説や楽しくてワクワクするような小説、感動する小説は単純に楽しめるんだけど、ドロドロとした心理描写があるものや、殺人の場面が出てくるものなんかは、著者がどんな性格なのか気になります。「こんな描写ができるなんて、とても普通の感覚だとは思えない」って。でも、そんな作家さん達って雑誌やテレビでインタビューや談話を見かけた時には、ものすごく意外に思うことが多いんです。あまりにも普通すぎて。「本当にこの人があの物語を書いたのかな」って信じられない気持ちになることも多いほど。実は今読んでるものも、かなり描写が独特で、その様子が鮮明に浮かぶから「うわっ」て、寒気がするような場面があるんです。けど、その著者が一見これまた普通の『女の子』と呼ぶに相応しいんです。とてもそんな文章を書くようには見えないっていうか。もちろん、殺人事件を書いている人がそんなことをしているわけじゃないから、物語と実際の作家さんの人格は違うんだけど、不思議だなっていう気持ちでいっぱいになります。あくまで、その想像力、観察力が秀でているんでしょうけどね。けど、本当にその頭の中はどうなってるんだろう。